Ukulele Sight
はなこさんタイトル・バー
<第3章-後半10話>

第3章=11話=

ヤマハ・ウクレレ生産再開('99/07)

ヤマハウクレレの製造発売が再開された。以前と同じ韓国で作られているようですが、
仕様を一新して、重量も軽くなり、音質も明るく、価格も下がりました。

「YUK-3」¥12,000,「YUK-5」¥18,000、の2タイプ、
どちらもソプラノ・サイズで、白いペグはギア式
当然これまで発売されていた「YU-4」「YU-5」は、音質面で評判が芳しくなかったこともあり、生産は終了していますので店頭現品限りということになるようです。

製造中止の話で、「ヤマハ」も、もはやここまでかとがっかりしていたのですが、

名誉挽回?でがんばっています

発売は、「YUK-3」1999年7月末、及び「YUK-5」1999年8月20日

関連HP

ウクレレカタログ<国内1>参照

(1999/07 付記)


第3章=12話=

=提案=1番弦(.028inch)の選択

 僕だけの感覚かもしれませんが、ウクレレの弦で1番弦に不満を持っています。
通常の太さは、おおむね .025 inch 位です。
 ウクレレを弾いているうちに、他の弦に比べて妙に音が違って聞こえるようになってきます。何がどうなのかうまく説明できませんが、この1番弦の感触で、「弦を張り替えたい」という気持ちが沸き起こってきます。弦の寿命ということもあるのでしょうが、それだけでなく、新しく弦を張り替えても1弦だけがしっくりこないことがよくあります。
 例の逆さ張り替え(参照:「秘伝!弦の張り方=1=」)をしても、高い音が合わなかったり、弦の伸びはすでに落ちついているのにも関わらず、やっぱりしっくりきません。
 使うことはないのですが、Martinの1番弦はチューニングの関係上、特に細く(.021 inch )素人の僕には、結構、弾きにくく感じていました。

先日、オータサンは、1〜3弦をすべて同じ弦を使っている話を聞き、こんな実験をしてみました。

1番弦の代わりに、4番弦(.028 inch)を張るのです。

少しテンションは上がりますが音程は安定しているようです。

ローG調弦の方で、「ローGのセット弦」を買わずに、通常のセット弦と4弦に金属巻き弦を買い足す人は、ウクレレのナイロン4番弦が余りますから、それを1弦に張ってみてはどうでしょう。

しかし、
 普通の「ハナコ-サン」は、どうしたらいいの?弦をバラ売りしている店は、そうそうありません。

そこで
 4番のナイロン弦(.028 inch)に近い太さのクラッシック・ギターの1番弦を張ることにしました。

入手できたのは、
D'Addario Classical Guitar J 4901.E-1st(Black Nylon)
これは、正確に計れませんでしたが、
ウクレレの4番弦(.028 inch)とほぼ同じ太さでした。
この弦をウクレレの1弦に張り、本来のウクレレ1番弦は使いません。

同じく、
E&O Mari La Bella Classical Guitar Strings E-Mi 1st (Black Nylon)
これも正確には計れませんでしたが、
ウクレレの2番弦(.032 inch)と同じくらいの太さでした。
この弦の場合、
ウクレレの4番弦を1弦に張り、4弦にこのクラッシック弦を張ります。

 どちらの場合もテンションが上がりますが、弾きにくいということはなさそうです。元の4番弦より音に張りがあり、音量 が増すように感じます。当然、寿命も延びると思います。楽器には少し負担が掛かるかもしれません。

D'Addarioのウクレレ弦は、4弦(.028 inch)でAチューニング指定ですから、とても無理なことをしているわけではないようです。

どうでしょうか?
4弦に不満を感じたことのある方は、試してみては如何でしょうか?
もちろん、ご自分の責任で、ですよ。
でも、「フェーマス」だったらブリッジが飛んでしまうかもしれませんね?。

トライした方は、是非、感想をご連絡ください、お待ちしています。

(1999.07.29付記)


第3章=13話=

血塗られた弦===血の出るシーリーズ?、第2弾。===

伝言板に寄せられた「デコ・澤田」さんの貴重な体験談をご本人了解のうえ原文で紹介します。

僕は、ウクレレの練習で血が出た「YUKI」ちゃんのことが笑えません。

(大阪) 心斎橋のパルコにある楽器店で買った三千円位 のウクレレ、 4、5年前の三千円って言ったら今の・・・ どー考えてもやっぱり三千円ですねぇ 出して買ったウクレレの弦を替えようと思い、高木ブー雷様の本 (1999/4発行、NHKテキスト) に載ってた (大阪市淀川区) 塚本の (楽器屋) RHAに買いに行った。 そして僕は、高木ブー雷様の本に載ってた通り、弦の張替えにチャレンジしてみました。

第一弦いとも簡単に張りかえることに成功!!!

僕はカマカの職人になろうかと思っちゃいました。

第二弦ブリッジにハサメナイ!!!カマカ職人気分の僕は、ブリッジを左手で押さえ、右手にマイナス・ドライバーを持ち隙間を広げようと、ドライバーをクネクネホジホジしていました。

突然、ブリッジの隙間からマイナス・ドライバーが外れ、
左手の親指のツメと皮膚の隙間にグサリッ!
O← このあたりです。

「ツ、ツメの隙間やなしに、ブリッジの隙間やろ!」
と一人ツッコミをしながらテッシュで止血した。

だから僕は、ウクレレの練習で血が出た「YUKI」ちゃんのことが笑えません。
弦の張替えで血が出たからです。
こーいうのをウクレレ用語で血のにじむような張替えとでも言うのでしょうか?
あ〜カマカ職人の道は厳しいもんですなぁ〜

*文中()内は、ウクレレ・サイトで注釈しました。参考記事:血の出る練習

以上が、デコ・澤田さんの経験談です。血が出ながらも一人ツッコミをしてしまう、愛すべき関西文化がよく出ています。関西系の僕には手に取るようにデコ・澤田さんの姿が想像できます。

ちょっと古すぎますが、〜細腕繁盛記より〜

「ウクレレの花は、白い。だが、そのつぼみは、血が滲んだように赤い。」

それにしてもこの痛みは大変なものだったでしょう。江戸時代、遊郭のお女郎さんが、足抜け(逃亡)の仕置き(刑罰)として、指と爪の間に釘をねじ込まれる拷問に使われたほどですから。
良い子のみんなは、くれぐれも注意して弦の張り替えをしてくださいね。

(1999.09.05付記)


第3章=14話=

大橋英比個ウクレレライブ1999/09/19・東京表参道

大橋英比個ライブ写真  大橋英比個さんは、ウクレレ教室や数多くの教則本、楽譜集で広く知られていますが、以前はハワイアンの大御所白石信さんのバンドで演奏家として活躍されていました。ウクレレの他ピアノ・ギターそれにスチールギターの名手でもあります。
(ハワイアンの巨匠大橋節夫さんとは無関係)

99/09/19
その大橋英比個さんの「ウクレレ初ライブ」が青山レストランバー「CAY」にて行われました。

ギター・ドラム・ベースギター・ピアノ、それにウクレレという編成。
 演奏曲は、ほとんどがスタンダードナンバーで、ジャズ・ボサノバ・サンバ・チャチャなど、ウクレレのライブとしてありがちなハワイアンはごく数曲でした。まさに、ハワイアン楽器としてのウクレレからは脱した感があり、ソロやアンサンブルなどもそのアレンジと共に計算された仕上がりになっていました。ウクレレソロも、ギターとウクレレのアンサンブルがあるのみで、全くのウクレレ1本のソロが無かったのが残念ですが、単にテクニックや早弾きを見せつけること無く、ウクレレの可能性やウクレレによる音楽の楽しみ方の方向性が見えた気がしました。
 でもやはり、1曲ぐらいは完全ソロがあっても良いかなとも思いました。それに、ウクレレという楽器の限界なのかドラムの音が目立ち全体のバランス的に気になるところがありました。(一番前で見ていたのが良くなかったのかなあ?)
 ライブには、客演のバイオリンとアコースティック・ギターのインスツルメンタルなども入り凝った趣向でした。大橋英比個さんの演奏に聞き入るうち、まさにあっという間に時間が経ち、大好評のうちに幕を閉じました。

今後も、本格派ウクレレ・プレイヤーとして、このようなライブが数多く行われることを期待しています。

参考 : 大橋英比個ホームページ

(1999/09/23付記)


第3章=15話=

お前もか?「お玉杓子は蛙の子」(原曲「ナ・モク・エハ」ハワイ民謡)

( 以下黒太文字は引用文、・・・は中略 )

「この曲は1940年に初レコーディング、灰田勝彦の歌はあいだにハワイ語の歌詞を交え、・・・そして曲間には「リパブリック賛歌」として、さまざまな替え歌として知られているメロディーが挿入されている構成。」(日本ウクレレ協会資料小林正巳氏著)

「なじみのあるメロディの部分の方が残り現在の「おたまじゃくし」になり、・・・・某安売りカメラ店へ行くと世界各国語の歌詞でこの曲が唄われてます。」(日本ウクレレ協会小林正巳氏伝)

 よく知られた曲が実は替え歌で、ハワイアン音楽「ナ・モク・エハ」がその原曲であり、此処にも存在していたとは、まさに牧伸二氏の「いやんなっちゃた節 = TA-HU-WA-HU-WAI 」以来、改めて驚きを感じます。
(灰田氏の歌う原曲での替え歌と、よく知られている替え歌とではメロディーがやや異なります)

 灰田勝彦氏のような方が、コミックソングを唄うなどということに大変な違和感を感じていました。牧伸二さんが漫談として「タ・フ・ア・フ・ワイ」のメロディーで世相をおもしろおかしく見せる芸と違い、ミュージシャンたるもの、原曲とは意味のかけ離れた、お笑い的?、歌詞を唄うとは、いくら原曲のハワイ語で唄われている部分があるにせよ、ご自身は恥ずかしくないのだろうか?、前出資料によると「当時はオリジナル(ハワイ)曲や輸入曲に日本語の歌詞を付けたものが、絶大な人気を集めていました。」とありますが、カバー曲といえば聞こえは良いのですが、メロディーだけを借りたコミックソングや日本語替え歌を唄うくらいなら、日本人が作ったハワイアン崩れのムード歌謡曲の方がまだしも、オリジナリティーがあるのではないかと思ったりしていました。

 そんなある日、日本ウクレレ協会から頂いた「ナ・モク・エハ」楽譜でハワイ語をカタカナに書き換えた部分を読んでいました。(本稿では、歌詞1番のみ紹介)
ハノ ハノ ー ・ ハ ワ イイ ラ ・ レイ カ レ ・ フ アラ
クア ヒ ヴィ ・ ナ ニラ ・ オー マウ ナ ・ ケ アー

歌詞の訳は、
光栄あるハワイ島、レフアのレイ、美しい山はマウナ・ケア山だ
 注) レフア=ハワイ島を代表する赤い花、レイ=首に掛ける花輪、マウナ・ケア=ハワイ島を代表する山の名前。
この民謡はハワイの4つの島とその島を代表する花および山について歌っているハワイ賛歌とも言うべき民謡なのでしょう。

ご存じの替え歌では、
お玉杓子は ・ 蛙の子 ・ ナマズの孫では ・ ないわいな
それが何より ・ 証拠には ・ やがて手も出る ・ 足も出る
となるのです。

 ところが、 そのカタカナを繰り返し読んでいるうちに、発音に間違いがあるかもしれませんが、ハワイ語で結構歌えるのです。音楽的に未熟なぼくでも何とか歌えるのです。そのとき、今までの疑問が解けたような気がしました。
 「ナ・モク・エハ」もメロディーを知っていれば、歌詞(カンニングペーパー)を見ながら歌えるのです。発音や区切りを練習すれば言葉が日本語でも英語でもハワイ語でもカタカナ文字を見ながら歌えるということです。これは当たり前のことだったのです。知っている曲は、既に歌詞カードだけで誰もが歌っているのですから。

 1930年代から、灰田勝彦氏「ナ・モク・エハ」1940年レコーディングの当時は、ハワイアン音楽紹介の創成期であり、替え歌にする事でそのメロディーの楽しさを伝えようとしたのではないでしょうか。そうした努力が、その後、1960年代頃まで続くオリジナルおよび、日本人作曲によるハワイアン音楽の全盛時代を迎えるに至ったのでしょう。

 そして、1999年「杉本いわお」さんのウクレレCDに寄せる言葉として、大橋節夫さん曰く、
本場、本場とよく云う人が居ますが、そろそろ本場意識は捨てても良いと思います。・・・・模倣を良しとして居ては、国際的なオリジナリティーは生まれず、その音楽の発展も望めません。・・・(プロは)本場以上のものを作り新しい芸術を生んで欲しい。
 ハワイアン音楽の原点を大切にし、愛してきた大橋さんならではの言葉であり、21世紀を迎えようとしている我々はやっと、「ウクレレすなわち、ハワイアン音楽、伴奏楽器」という呪縛から解き放たれようとしています。この曲「お玉 杓子」から半世紀あまりを経てやっと足が生えてきた感があります。

蛇足ですが、
ヨドバシカメラで安物に手を出して、お金がたりず足を出すようじゃ困りますが、楽譜のメロディーの「お玉 杓子」から、演奏で「手が出て、足が出て、蛙に生まれ変わる」ようなアドリブやアレンジが出来るようになれることを夢見ています。しかし、未だ卵にも成れないのが実状です。\(^_^;)/

引用出典:
日本ウクレレ協会、1999年9月、月例会における「勉強会」資料楽譜
CD「Dynamic Ukulele Sounds Vol.1 杉本いわお」ジャケットに記載された大橋節夫氏のメッセージ

(1999/09/24付記)


第3章=16話=

「Cyber Ukulele Jam 」(CUJ)1999年11月6日

CUJタイトルバー イベント
1999年11月6日(土)東京杉並区・浜田山会館にて、
第1回「Cyber Ukulele Jam 」TUIトリビューが行われました。


CUJ集合写真 主催者が「草の根イベント」と呼ぶように
開催に関するすべてが有志のボランティアに支えられた完全な非営利イベントで告知に関してはインターネットのみによる画期的なものであり、当初の予想を超えた約140名もの参加者で大成功を納めた。1999年8月に閉鎖された、日本のインターネット界のウクレレ情報の総本山「TUI(TOKYO UKULELE INSTITUTE)」の精神を引き継ぐという意味合いを込めて、サブタイトル「TUIトリビュー」が付けられています。

今回の参加費は実費のみで一人当たり参加費は、\500。
なんか嘘みたい。交通費の方が高いよ。

大阪の吉本興業のギャラの安さを唄った芸人さんの替え歌に
「屋根より高い鯉のぼ〜り」から「ギャラよ〜り、高い交〜通〜費」というのがあります。 (^_^;)

みんなで集まって、ウクレレを楽しみませんか? これがこの企画の目的です。

初心者からベテランまで、等しく楽しめる工夫がなされていました。

【第1部】たたかう・ワークショップ
レベル別に五つのグループに分けられ、それぞれが講師の元で課題曲を練習。短い時間ではあるが、個人の練習や、レッスンでは味わえない楽しみや、日頃の疑問解消、あるいは、他の人のウクレレを見せて貰うなど、得ることは多い。しかもこの後すぐに各グループごとにステージで演奏する。ステージに立ってしまうのです。しかも弾けてしまうのです。講師の方々の偉大な力で、これは“ スゴイ企画 ”です。

我々参加者は怖いもの知らずで、ステージ度胸までつけてくれます。

見るだけのイベントでなく参加するイベントとしてのおもしろさがあります。
まさしく、あんた(参加者)が大将 !

【第2部】ビュリホー・ジャム・タイム <みんなが主役の腕試しコーナー>
第2部のサブタイトル通り、いろいろな方が出演します。これは、此処で観た僕たちの宝物ですが、出演者の持ち時間が3〜5分以内という制約のため演出や選曲に工夫がなされていました。初心者から、かなり遠方から来られた方や、プロ・アマの演奏家まで、最後には「プリン」のゲスト出演でみんな最高潮の盛り上がり。
【特別企画】 ウクレレ工業団地・見本市
今までは、webでしか見られなかった「自作・改造・ペイント・ウクレレ」が展示され、実物を実際に、見て、触り、弾く、ことができました。志茂さんも裸足で逃げ出すような仕上がりのものまであります。ウクレレは手軽ですが、やっぱり奥が深い。

来られなかった方は、非常に残念でしたが、
またこの企画が行われるときには是非参加されることをお勧めいたします。

上記の写真からリンクされている「大集合写真」( 270KB )は、何とか表情が判る程度には写 っています。
いつもの事ながら、写真係の僕は写っていないのが残念。

最後に企画主催された、
パット氏・ まいたけ氏・ ikeda氏、 ほか多くの有志ボランティアの方々に感謝いたします。

尚、このイベントは、多くのwebで紹介されています。
ウクレレ・コールズCUJ「報告・リンクページ」 などからもご覧下さい。

(1999/11/11付記)


第3章=17話=

「Cyber Ukulele Jam 」番外編「おいらも大将」

筆者の演奏風景

やっちゃいました。( f^_^;  ポリポリ... )

「Cyber Ukulele Jam 」が、此処まで大盛況になるとは、誰にも予想できなかったのでしょう。

主宰のパットさんから「できれば、第2部出演にも登録していただくとうれしいです。」なんてメールを貰って、つい出演してしまいましたが、「木に登ったサル」の気持ちがわかりました。参加登録時は、僕でNo.48でしたので参加者が138名にもなるとは誰にも想像できませんでした。

こうなっては、初心者の意地誰でもステージに立てるという先達となって恥をかくも良し、次回は、僕の演奏を見てアレくらいなら俺も出ようと思ってくれる人が出てくれればいいという役目だ。なんてね、ひとり言い訳したりして。

とにかく、最終的には、出演者が多数で、1ステージ3〜5分までという制約がつきました。まともに1曲弾けば終わりです。明るく、テンポよく、易しい曲でしかも賑やかに、ということで、数曲続けて弾けば、短い時間で派手に見えるかなあと思いました。

数少ないレパートリーの中から

[ Hello,Dolly ]・[ Five Foot Tow,Eyes of Blue ]・[Hawaiian March ]

になりました。この3曲の、1番もしくは2番を続けて演奏しました。
3曲通して3分20秒くらいです。

曲 [ Crazy G ] が残念なことに、第1部の課題曲になっているため演奏できませんでした。

当日はビデオ係ということで2階のミキサー兼、照明室からビデオカメラに張り付いていたのですが、なんだかソワソワして落ち着きません。「弾き間違えるのは当たり前だから、せめて音が途絶えることがないようにしよう。どうせみんな曲を知らないだろうから間違ってもわからんかも。」なんて馬鹿な事を考えていました。

いざ出番となると、身体の芯の方から熱いものがこみ上げてくるように体温が上がってきました。頭の中は真っ白状態。しかも、客席が明るい、観客のみんなと目が合っちゃうんだなあ。もはや仕方ない諦めよう、そう振っきって弾き始めました。1曲目は何とか適当にごまかしました。2曲目で、やってしまいました。練習の浅い1曲目を弾き終えたため、少し気が楽になり、集中力が飛んでしまいました。3曲目は、何とか無事に弾けました。座って弾いた方が良かった。足がふるえます。

ビデオを見ましたが、やはり、一生懸命弾いているという感があり、音楽という余裕は感じられません、音も外していますし。仕方ないですね「初デビュー」ですから。幼稚園の時のお遊戯発表会の「ドキドキ感」を思い出しました。

ちょっと恥ずかしさが残りますが、いい思い出になっています。とても良い経験をさせていただきました。ステージに魅了される芸能人の快感がわかるような気がします。(もっと場数を踏んでから)また出たいような気持ちもあります

次は、これを読んだ「あなた」が、ステージに立つ番ですよ。

*ウクレレの音質がちょっと堅く改善の余地ありでした。白鳥さんはテクもすごかったですが音質も良かったなあ。

<上達の秘訣>=格言集=が役に立ちました。ご参考下さい。(自画自賛)

(1999/11/12 付記)


第3章=18話=

小学館へ行くのだ!

1998年の晩秋、
小学館の「ラピタ」編集部のOさんからメールがありました。
1998年1月号「BE-PAL」誌でウクレレ・ロッドの記事を書いた方で
「おもしろがって取り上げてくれることに感謝いたしております」という内容でした。

こちらは飛び上がってしまいました。
実は「 おもしろウクレレ 」のなかで「BE-PAL」誌のウクレレ・ロッドの記事を紹介していたのですが、写 真は僕が雑誌から無断転載したものなのです。

ホームページ本文末に

「BEPAL」は偉い、「BEPAL」は面白い、「BEPAL」は最高。
みんなで「BEPAL」を応援しよう。
・・・・これだけ書けば、写真の転載、許してくれるかなあ?

と書き於いて、転載の許可は頂いていませんでした。(^o^;)

まさか当の編集部の方の目にとまるとは思ってもみませんでしたが、ご丁寧にもご連絡を頂いたからには、もはや、知らぬ 顔も出来ずお詫びとご挨拶に伺うこととなりました。

小学館では、「サライ」「BE-PAL」「ラピタ」それらの編集部が同じフロアーで隣り合っていました。僕の経験からすると、机の上がグチャグチャという編集部が多いなか、かなりきれいに整理された編集部でした。お会いしたのは、メールを頂いたOさんとNさん。お二人ともウクレレを楽しまれています。Nさんはアキオ楽器の常連さんらしいです。

転載の件は丁重にお詫び申し上げましたが、全くおとがめもなく、むしろ喜んでいただき肩の荷が下りました。ロッドウクレレの制作者花村さんの話など、楽しい時間を過ごさせていただきました。

Nさんは、玄人はだしの腕前でいろいろステージに立っているようです。その中でNさんが、話された言葉がとても印象的です。

ウクレレを弾くからには、ウクレレらしい音 を大切にしたい。
ソプラノサイズでぽんぽんという軽い乾いた音、
アップストロールをうまく用いた奏法。
ジャンルを問わずウクレレで演奏しているなあと自然に感じさせる演奏。

なかなか含蓄のある言葉でした。
まさにウクレレの原点であり、忘れてはいけない大切な事なのでしょう。

何時、誰に見られているかわかりません。今後、気をつけます。

(1999/12/29 付記)


第3章=19話=

「ラピタ」の取材で“まな板の鯉”

師走の昼下がり、FAXが鳴り出しました。

 丁度、午後からの撮影に備え昼食をとっていました。送信されてきたFAX用紙を目で追っていると小学館「ラピタ」の文字が見えました。仕事の依頼が来たぞとワクワクしていました。今年の「ラピタ」5月号で「ぼくの宝物」というページで浅井愼平さんのカマカ社のカスタム・ウクレレの撮影をさせていただきました

 さて今度はどんな仕事だろうと読んでみると。 どうも、仕事ではなく、このウクレレのホームページを記事にしたいとの御要望です。どうしたらいいのか分かりませんでしたが、何事も経験と「まな板の上の鯉」となりました。

後日、取材の場所として、祐天寺の「のほほんベアーズ」をお借りしました。柴田・森「サーモン&ガーリック」

 取材に来てくださった、ライターの柴田さん(写真左)とカメラマンの森さん(写真右)は、二人で「サーモン&ガーリック」というユニットでウクレレ演奏をされているそうです。

 このお二人は「ラピタ」2000年1月号(1999年12月06日発売)の記事でモーリス社のウクレレを取材されていて、その場で気に入ってしまい、二人ともモーリス・ウクレレを購入してしまったというウクレレ好きな方たちです。ノホホンベアーズでの取材の後、森さんのスタジオで、ぼくのウクレレや小物を撮影していただき、その間に柴田さんからインタビューを受けました。インタビューというより、ぼくの、あちこち話が飛ぶ雑談になってしまい、結局2時間あまり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。話をまとめるのが大変そうです。柴田さんすいません。

この記事は、 小学館「ラピタ」 2000年3月号(02月06日発売)に掲載の予定です。

(1999/12/30 付記)

第3章=20話=

1999年ウクレレ決算

ノストラダムスの大予言は見事に外れましたが、その代わり?ウクレレ活動が活発でした。

データ (ウクレレサイトで確認又は、掲載したもの。*人名敬称略)
書籍 41冊、CD 20件、ビデオ 6件、新規参入メーカー 8社

雑誌 専門誌=1誌、その他新聞雑誌でのウクレレ関連記事多数

来日演奏家
オータサン 、パロロ、 ライル・リッツ、 JOY 、ジェイク・シマブクロ など

国内演奏
山口岩男、 大橋英比個、 関口和之、山内雄喜、松宮幹彦、 高木ブー 、 藤井康一郎、 大輪好男、 つじあやの、 プリン、ペティー・ブーカ

ウクレレアフタヌーン、 CUJ、ウクレレライフ、もみじあんバンド、 関レレ 、NUA40周年記念、 のほほんベアーズ・クリスマスパーティー

その他、各地のウクレレサークル活動やオフ会、発表会。

お集まり
ローリングココナッツ・イベント 、山口岩男ハワイ・イベントツアーなど

HPの数(1999/12現在*消滅も含む掲載件数) 国内164、海外117

その他、NHK趣味講座。ウクレレ関連イベントやスクール多数。

 

 多くの書籍やCD、イベントやプロの演奏、手に入りやすくなった楽器。1999年は近年まれにみるウクレレを楽しめた1年でした。ウクレレに関連のホームページに関しても、この「ウクレレ・サイト」を始めた1996年春には、他に「クレーンホームページ」のみしか存在していなかったにもかかわらず、今や、いろいろな人たちが、独自で工夫を凝らし、さまざまな意見や貴重な情報を発信して、こちらも楽しませていただいています。ひとときのブームで終わらぬ 、生涯の愛すべき友人として、これからもウクレレとつき合っていきたいと思います。そしてウクレレを通 して知り合うことが出来た多くの人々との輪を大切にしていきたいと思っています。

最後にNUAで講師をしていらっしゃる山下好哉先生の言葉を紹介します。

「最近、いろいろな方がウクレレ・ブームと騒いでいますが、ブームという言葉は嫌いです。ウクレレをブームなどと呼んで欲しくはないんです。ブームはいずれ終わります。私たちは昔から今と変わりなくウクレレを楽しんできました。これからもそうです。ただそれだけです。」

(1999/12/31 付記)


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