UKULELE SIGHT/COBA STUDIO
「 狂った果実 」

石原裕次郎 狂った果実 津川雅彦
1956日活映画
狂った果実 裕次郎ウクレレ

原題 : 「狂った果実」 1956年日活映画
主演 : 石原裕次郎
出演 : 津川雅彦、北原美枝、岡田真澄、芦田伸介、
監督 : 中平 康
原作・脚本:石原慎太郎、撮影: 峰重義、美術:松山崇、音楽:佐藤勝/武満徹

この映画は、全てが新しかった。

日活映画とは、「大日本活動写真株式会社」という日本で最古の映画会社です。第2次世界大戦中「大映」に吸収されるが、戦後1954年映画の黄金期に撮影所を新設し、映画製作を再開します。スタッフは、他の映画会社の若い人材の引き抜きなどで揃えられたが、他社は「五社協定」を結び、スター俳優や女優の移籍、出演に制限を加え防衛することになります。

石原裕次郎出演作品では、1956年に製作された「太陽の季節」がありますが、この原作は、兄石原慎太郎が前年芥川賞を得た同名小説の映画化で長門宏之と南田陽子のコンビで撮影され、石原裕次郎は端役ではあったが、裕次郎自身、当時の「太陽族」そのものであり彼らの風俗が小説のモデルであったため、彼らの生き方や考え方を撮影者自身が学びながら撮影するといった形で進められたようです。裕次郎自身は端役に関わらず、そのスター性は観客や製作者側からも高く評価されました。しかし作品自体は、ヒットし太陽族映画の第1号となるが、話題を呼んだ原作小説の迫力には当時の文芸調映画製作観念が及ばず、次回作の 「狂った果実」では石原裕次郎(21歳)初主演で石原慎太郎(23歳)が自ら脚本を書くことになります。

プロデューサーは、元「松竹歌劇団」男役の大スター「ターキー」こと水の江滝子。まだプロデューサーとしての確立した地位を得るまでには至っていませんでしたが、この「狂った果実」で新人作家石原慎太郎が自由に書いたシナリオで、しかも東大美学出身の新しい世代の新人監督中平康(30歳)によって撮影されます。もちろん全てが新しいことで、本編撮影前に入念な絵作りのためのスチール撮影が行われたようです。そこには以降の裕次郎作品には欠かせないスタッフとなり、以後は「囁きのジョー」「津軽じょんがら節」などの監督となる、気鋭のカメラマン斉藤耕一(27歳)の力によるところが大きく、助監督は翌年裕次郎主演作品「俺は待ってるぜ」を撮影することになる蔵原惟繕(29歳)、音楽も新人であった斉藤勝・武満徹を起用。

俳優では、長門宏之の弟、津川雅彦(16歳)、日劇ミュージック・ホールから引き抜いてきた日仏混血の岡田真澄(21歳)らを登用するなど、まさに日活らしい新しい発想の映画作りでした。

もちろん、型にはまった古典的ドラマ作りや、カメラ・ワークなど一切無視した作り方に監督や製作スタッフに試行錯誤や困難があったことは容易に察することが出来ます。

映画の内容には触れませんので直接お楽しみ下さい。が、 ココまでは序章です。

この映画が果たしたもう一つの大きな出来事があります。
 「大人は判ってくれない」1959 フランソワー・トリュフォー監督
 「勝手にしやがれ」1959 ジャン・リュック・ゴダール監督
 「いとこ同士」 1958 クロード・シャブロール監督
これら、フランス ・ヌーベル・バーグ映画の代表は、この映画「狂った果実」の影響を少なからず受けているという点です。

映画「狂った果実」は、1958年フランスにおいて「青春の情熱」というフランス語タイトルで上映され、当時映画評論家であった フランソワー・トリュフォーは、「目を見張るすばらしさ」 と高く評価し、後年のインタビューにも「この映画を見た刺激は、私たちに良い作用をした」と語っています。そのことは、彼の推薦でシネマテークに保管される日本映画第1号となり、『いい映画が出来るための条件は十分な時間とフィルムではない。「狂った果実」は17日間で撮影された。』 と若い監督への戒めとして語っているそうです。

「狂った果実」は、松竹ヌーベル・バーグの旗手と称される、大島渚監督「青春残酷物語」1960年より、以前の作品でもあります。

ウクレレに関して登場するものは2種類。
 ひとつは、オーソドックスな形、「ポロン・ポロン」と「はなこさん」と弾く程度で、上の写真両側のタイプ。
 もう一つは、劇中石原裕次郎が実際に弾いているタイプ。写真でお分かりのように「パイナップル型」と言うよりは「琵琶型」に近い形状でサウンド・ホール下には「フラを踊る女性の絵」が描かれており、ボディーには外周に沿って「星形のビス」が打ってあります。これは、1957年製作の石原裕次郎主演作品「鷲と鷹」で使われたものと同じものではないかと思います。もし、そうだとしたら、これはココナッツ・ウクレレと呼ばれるウクレレで、ボディーは半裁した椰子の実を並列接続したものに表面板を乗せたものです。映画の場合、音声は別取りですので作品中の音楽が、このウクレレの音かどうかは分かりませんが、詳しい形状は、映画「鷲と鷹」で裏表共に見ることができます。裕次郎さんの演奏は、やはり当時のハワイアン・スタイル(説明が難しいですが、アップ・ストロークを巧みに使うというような表現の)ストロークです。特にロール・ストロークでは、親指のダウンを効かせています。唄は、この頃から既に裕次郎節を聞くことが出来て、裕次郎ファンでなくとも、裕次郎さんを知らない世代にも楽しめて、まさに本物の太陽族を見ている感の映画です。

(写真右上は津川雅彦さんです)

=参 考=
映画 「太陽の季節」では、ホテルのガーデン・パーティーでハワイアン・バンドが演奏するシーンでウクレレが登場します。演奏者に関しては不明、当時のプロのハワイアン・バンドかも?。

ヌーベル・バーグシネマテーク:用語集参照下さい。

出典文献・「裕次郎とその時代」文芸春秋社、「シネマクラブ」ぴあ

2000/05/22



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